書に触れたことがない方にも解りやすいように、簡単に主な書体の変遷を説明します。

書体の変遷

BC14 〜 AC1100    殷

甲骨文の誕生
先祖の祭祀、王室の大事、戦争、農作物の豊凶、風雨や天変などを亀の甲や牛の骨に刻んで記していた。

BC 1050年 〜 BC 256年    西周・東周(春秋戦国)

金文(きんぶん)から篆書(てんしょ)(大篆)(だいてん)へ
金文(きんぶん)とは青銅器などに刻まれた、図象のような複雑な字体。
これよりも均斉のとれた字体は大篆と呼ばれ、春秋戦国時代に流布していた。

BC 221年 〜   秦 大篆から小篆(しょうてん)へ

秦の始皇帝が天下統一した際、これまでの大篆を簡略化した小篆という書体を制定した。

BC 206年 〜 AC 25年   前漢

隷書(れいしょ)が広まり、草書(そうしょ)が生まれる
小篆よりも実用に適した書として次第に隷書が流布する。ただしその胎動は時代をさかのぼって春秋戦国時代中晩期からあったと言われている。
またこの隷書を早書きした文字が、字画を最もくずした草書である。ただし篆書の時代(春秋戦国)にも篆書を簡略化した書体があるので、
草書の起源はもう少し時代を遡る。草書が書体として確立するのは後漢の頃といわれる。

AC 25年 〜 AC 220年    後漢

行書(ぎょうしょ)の発生
隷書を早書きするところからより実用に適した行書が生まれる。

AC 220年 〜    三国

楷書(かいしょ)の発生
行書から楷書へと変成する。現存最古の楷書の遺品は3世紀の中頃に遡り、その字体の完成はおよそ5世紀中頃とされる。
楷書は最も字体が新しく、我々にとって身近な書体である。中国ではさらにこの楷書から略された書体が生まれている。
参考文献:「書道全集1 中国1 殷・周・秦」、「書道全集2 中国2 漢」共に平凡社/「書—伝統文化のこころ—」読売新聞社

隷書とは

私が専門にする「隷書」という書体の起源は中国の漢の時代(紀元前206年〜)に遡ると言われている。
それほど歴史の古い書体であるのに、今日私たちが目にする新聞社の名称にも、殆どこの「隷書」体が用いられていることにお気だろうか。
もともと官吏が事務に用いていたこの文字が時を経て、書家の手から手へと連綿と綴られ、
そして現代の私たちの生活に寄り添っている事実を想うとその偉大さに畏怖の念を覚える。
The clerical script that I specialize is believed to date from 206B.C..
This character style is created by the ancient government clerk in China
then passed on to successive calligraphers in an unbloken line and penetrates deeply into our society,
used as a logo design of Japanese newspaper, for example . When I conceive its origin and its history ,
I am always in awe of its greatenesse and think have to hand down it to the next generation.